片付けと当事者の心の関係〜「片付けられない」のは根深い必然的な理由がある〜

前々回の記事で、私が最近「片付け」「整理」「ミニマリズム」に開眼するきっかけになった本『超ミニマル主義』をレビューしたが、その後SNSで友人とコミュニケーションをしていく中で新たな気づきを得た。それが今回の記事テーマである「片付けやミニマリズムを実際に行動に移すための’そもそもの前提’について」だ。かなり長文になったが、読み進めていただけると幸いである。

【目次】

⑴ 片付けミニマリズムによるメリットの数々。良い事だらけなのに何故ずっと着手しなかったのか〜過去の実体験から〜 

⑵ このたび片付けミニマリズムに着手できるようになった経緯 

⑶ 片付けミニマリズムを遂行するための必須条件と、最初の一歩を進めるためのきっかけ作り〜具体的なステップ〜

⑷ まとめ

⑴ 片付けミニマリズムによるメリットの数々。良い事だらけなのに何故ずっと着手しなかったのか〜過去の実体験から〜

このたび、片付けとミニマリズムを実行し始めたことで次々と効果が現れた。その数々を以下にリストアップする。

片付けミニマリズムによるメリットの数々

  • 必要なものと不要なものを選別するという取捨選択の作業により過去を振り返り、現在の自分にとって何が大切かを見定めることができる。作業自体が一種の瞑想的な要素をはらんでいる。
  • モノを減らすと同時に、モノの使用頻度や用途に合わせて配置や動線を最適化することで「不要なノイズ」が消えて「どこに何があるか」を把握しやすくなった。必要なモノが必要な時にすぐ取り出せて、使い終われば同じ場所にしまえるようになり、日常生活の作業プロセスがスムーズになる。結果、時間と労力のロスが最小化され物理的精神的ともに軽量化し、日常のストレスが減る
  • 片付けミニマリズムの作業パターンが空間と同様「思考を整理する」ことにもつながり、ありとあらゆる物事の取捨選択、優先順位付けがスムーズになる。不測の事態が起きても慌てたり焦ったりする度合いが減り、以前に比べて落ち着いて対処できるようになってきた。
  • 生活空間に対して愛着が湧き、自然に掃除もするようになり、空間がスッキリ整いはじめた。
  • 日々ちょっとした楽しみや喜びを追求することが多くなり、毎日その日1日全体の流れをデザインするのが楽しくなってきた。
  • 早寝早起きするようになった(ほぼ毎晩22時台には眠くなり、夜中に何度もトイレに起きることなく明け方まで熟睡できる日が多くなっている)。
  • 散らかった現場を目にしても、焦りや自己否定といったネガティブな感情を抱くことが少なくなった。むしろ片付ける事でどんな掘り出し物が見つかるだろうか?と前向きな捉え方をするようになっている。
  • 自分自身に対して余裕を持てるようになるので、自然と周囲の人たちに対しても余裕をもって接することができるようになった。

このように、自分自身と周囲の環境が整うだけでなく、自己管理能力や自己肯定感がアップし自信もついて人生が楽しくクリエイティブになることが判明した。やってみるとこんなに沢山メリットがある「片付けミニマリズム」。なぜもっと早く遂行しなかったのか?その背景を考察した。

散らかしていた過去の実体験

【東京で自活していた若い時期】

私はかつて、自分のやりたいこと(語学関係)を仕事にするため20代後半に上京し、30代に差し掛かる約7年間を東京都内で暮らしていた。上京を巡って突発的な事情があり、特定の就職先が定まらないまま始めた都会生活。仕事内容が語学関連であることを最重視し、雇用形態に拘らず非常勤や単発案件やアルバイトで食い繋いだ。定職がないのをいいことに興味のあることを片っ端からトライする日が続く。

世田谷区の小田急線沿いに住み、休日には下北沢の街によく出掛けていた。懐かしい古さとアーティスティックでクリエイティブな空気が大好きだった。写真は2000年頃、下北沢駅近くの踏切にて。本多劇場の看板の一部が写っている。



最初のうちは新しい体験を通して刺激や学びに富み、忙しいながらも謳歌していた。住んでいたアパートのインテリアもカーテンや布団カバーを自分で縫ったり、古道具屋で見つけた家具をあつらえたりと、自分好みにデザインするのを楽しんでいた。ところが3年、4年と経るにつれ、将来にわたる長期的な見通しが立たない現状に直面し、経済的な不安定さも相まって、家の中もモノが乱雑に溜まりすさみ始める。

東京のアパートにて。いつ頃撮影したのか定かではないが、まあまあ散らかり始めた頃かもしれない。

理想の語学系の仕事でキャリアを積んで大成したい。でも理想を求めれば求めるほど安定した収入から遠ざかる。とはいえ最低限毎月の家賃と食費光熱費は稼がねばならない、と目の前のやっつけ仕事的な日々が続く。気がつけば語学とは全く無関係な短期契約の作業アルバイトを繰り返していた。自分はこんな生活を一体いつまで続けていくのだろうか?焦りが募る。暮らしにそこはかとなく漂う場末感。

当然身の回りの片付けや整理に至る余裕もある筈がなく、身も心もささくれ立っていた。当時はミニマリズムや断捨離なんていうライフハックの情報があったかどうかは覚えていないが、仮にあったとしても自分自身のエネルギーが枯渇しかけていたので、見えてなかったし見ようともしなかっただろう。ましてや実践なんて到底し得るはずもなかった。

住んでいたのは2階の南東角部屋。一目惚れした物件。
キッチンツールのいくつかは今も現役だ。

【地元岡山に戻り、仕切り直しの時期】

私は明らかに心身に限界が来ていることを自覚した。両親からの説得にも遭い、これ以上都会で見果てぬ夢を追い続けることは不毛であると悟り、7年にわたる東京生活に終止符を打った。そして新たに手に職をつけるため地元岡山の実家に戻ることになる。

実家に戻った後、理学療法士の資格をとるため専門学校に入学。それまで文系の語学系ひと筋でやってきた三十路超えの私が一回り以上若い人たちに囲まれ、医療関係の専門教育をイチから受け直す事は想像以上にハードだった。また、実家住まいで両親との同居生活は経済面や治安面では安心な一方で、高校卒業以来ほぼ15年間を県外の広島、インドネシア、東京と国の内外問わず自由気ままに一人暮らしをするライフスタイルに慣れていた身としては、正直窮屈でもあった。

専門学校生活で目の前の課題に追われ、焦りやすくせっかちで視野が狭いため、一つの作業が二度手間になったり落とし物をしたり、その他諸々の凡ミスや粗相をするのは日常茶飯事だった。「過密な授業カリキュラム」「厳しい指導」「睡眠不足」そして「とっ散らかった身の回り」の四重苦で身も心も疲れ果てて抑うつ状態になり、心療内科にかかっていた時期もある。

20代後半から30代全般にかけて経験した「東京の一人暮らし」と「地元岡山での専門学校生活」は一見両極端のように見えるが、両時期ともに相当にストレスフルなものだったと今になってあらためて思う。

当時自宅から専門学校までは片道約4km。小さな50㏄原付で通った。

そしてなんとか曲がりなりにも30代の終盤に理学療法士の資格を取り、人生初の正社員として就職する。職場でも新人の医療職として目の前の業務に追われ、サービス残業に勤しむ日々。やがて結婚して家庭を持ち、出産、職場復帰、転職を経て育児家事をしてきた。

職場でのメモ走り書き。ほぼ常に慌ててバタバタしてた記憶しかない。

しかもこれらの時期を通して「好きなものに囲まれて心地よい自分オリジナルの空間にしたい」「仕事や家事育児をクリエイティブに楽しみ住まいをセンス良い空間にしたい」という理想はずっとあったのだ。しかし現実には日々の目前の暮らしに追われ、片付かないまま何年も経過。そして「片付けられない自分自身」をだらしなくて怠慢だとジャッジしていた。

この理由として考えられるのはまず心身ともに疲弊し、くたびれ果てていたことだ。そしてこの疲弊のベースには慢性的な自己嫌悪、自己否定が根強く貼り付いていて、片付けられない自分を怠け者だと責めてさらに自己否定に追い詰め、ますます疲弊し焦燥感に苛まれるという悪循環に陥っていた。「身体を休めようにも心がそれを許さないので心ゆくまで休めず、結局は身も心も休まらない状態」から抜け出られなかったのだ。

我が家のキッチン、西日が差し込む昼下がりから夕暮れにかけてだけは、どんなに乱雑でも美しくなる。

当時のことについては、こちらのプロフィール記事でも触れている。

東京で自活していた頃から地元での専門学校に通っていた頃にかけて。
今のリハビリの仕事を始めて家庭をもつまでの頃。

⑵ このたび片付けに着手できるようになった経緯

都会の一人暮らしで目の前のやりたいことに邁進→実家に戻り資格取得→就職、結婚、出産、育児、転職。
これまでの私の人生は総じて、完璧主義で理想の状態のイメージは持ちながらも「散らかる→ごくたまに衝動的に片付ける→次第にリバウンドし、整頓された状態を維持できないことに対してストレスが溜まる」の繰り返しだった。理想イメージと実際の自分自身との間の乖離が激しく、心底ぐったりうんざりしていた。

結婚、出産育児を経て自己探究の末に出会った「一人プチ合宿」と「片付けミニマル化」

その後、今から5年ほど前に子どもが幼稚園に入り育児がひと段落着いた頃から「本来自分が得意で好きだった絵(似顔絵)を描くことを仕事にしたい」という目標が出てきた。それに向けてブログやSNSでの情報発信を始め、同時に自己分析・自己探究の旅が始まる。「自分が本当に欲しているものは何か、本当に求めていること、適していることは何なのか」を探りはじめたのだ。

私はストレングスファインダーでいうところの資質「内省」が上位にあることにも現れているように、元々独りでとりとめもなく思索することが大好物な人間だ。学生時代から心理学系、宗教や哲学の分野には興味があった。フロイトやユングの夢解釈に凝ってみたり、クリスチャンの親友が通う教会に足を運び聖書を読み、神について思索や自問自答したり、就職後に病気を患い休職期間に遠藤周作の著作を手当たり次第読み漁ったりした。

そしてこの5年間は自己分析ツールであるストレングスファインダーや、西洋占星術との出会いと学びを通じて、自分自身の特徴や傾向といった個性、大切にしているコアの価値観について内観してきた。同時に「絵(似顔絵)を描くことを仕事にしたい」という目標を掲げながらも、実際仕事に結びつけるに至らず、それどころかそれ以前に肝心の絵を描くこと自体のモチベーションが枯渇してしまい、焦燥感に苛まれていた。無論この時点でも身の回りは「片付ける→散らかる」の繰り返しだった。

裁縫グッズは実に散らかりやすい。作業してる証拠でもあるが。

そして今年2022年に入って、「アート型ビジネス」を展開する天才研究家・山田研太(やまけん)さんの考え方に触れ、実際にオンラインセッションを体験することに。これを機に「一人合宿」というアイデアに巡り会う。そのアイデアを自分流に「カフェで日帰りプチ独り合宿」とアレンジして取り入れてみた。仕事、育児、家事に追われてとっ散らかった日常生活の喧騒から一旦逃避し、数時間カフェにこもることで完全に独りだけの自由な時空を確保するのだ。するとこれにより、ストレングスファインダーでいうところの「私の強みを形成する上位資質たち」がたちまち輝きはじめたのだ。

まず、心地よいカフェ空間で五感が満たされることで、それまで苛立ちを募らせていた「共感性」が満たされ情緒が安定した。続いて、これまで日々の忙しさで慢性的に抑圧され干上がりかけていた「内省」が水を得た魚のようにどんどん潤い、コア資質である「信念」にも力がみなぎってきて、そこに最上位資質である「最上志向」が取捨選択し秀でた部分をさらに磨き上げる。すると本来自分のやりたかったこと、すなわち「自分の信念をベースに思索に耽り、直感で閃いたことを文章やイラストで表現する」作業に没頭し始めたのだ。

かつては慢性的な自己否定により、上位資質たちが抑え付けられ拗れて厄介なベクトルに暴走気味だったが、カフェで独り時間を確保し自分自身を思い切り解放させることで、上位資質たちが各々本来の居場所にはまりこんだ。まさに適材適所である。そしてこの上位資質同士が互いに強力なタッグを組むと、その他諸々の資質たちも続々と元気を出し、私の本来持つ強みが確実に本領発揮しはじめたのである。

自分はこれでいい。自分には確かに力がある。」この確信が自然と肚の奥底から湧きあがってくるのを体感した。さらには、今まで「似顔絵を描くことを仕事にしたい」と強く思いながら実際に実現できないままだったり、絵を描くこと自体の意欲が低下していた要因やメカニズムもおぼろげながら見えてきた。

独りカフェに篭って内省。水を得た魚のように時を貪った。

そしてこの「カフェでプチ一人合宿」をコンスタントに継続し続けて約3ヶ月経った頃、これまたやまけんさん主催の「主観的オンライン読書会」に何気なく参加したことにより、「片付けミニマリズム」「整理」のテーマに向き合うことになった。

「プチ一人合宿」を通じて心ゆくまで内省しアウトプットする時間を確保していたおかげで、私の内面がかなり満たされてエネルギーがあったのか、「片付け」に開眼し、堰を切ったように身の回りの持ち物や家中をあちこち整理し始め、ミニマリズムの真髄に触れたのである。

⑶ 片付けミニマリズムを遂行するための必須条件と、最初の一歩を進めるためのきっかけ作り〜具体的なステップ〜

必須条件とは

このような自身の経験から、片付けたい「意思」と実際に片付ける「行動」を一致させるための必須条件が2つあることが判明した。すなわち、

【必須条件その1】 心身ともにエネルギーで満たされ元気な状態であること

片付ける事とはすなわち「取捨選択」「優先順位決め」の判断をする事とほぼ同義だ。そもそも「片付けよう」と自ら思えるようになるには、この判断力を発揮するための相応のエネルギーが満たされて初めて可能である。そのためには心身が元気であること、片付けに必要とされる判断力を発揮するための体力的・精神的・時間的・空間的な余裕を確保しておくことが必須である。

【必須条件その2】 自分に合った片付けセオリーに出会っていること

片付けを進めるにあたって、やみくもに自己流ですると、今までと同じように途中で頓挫したりリバウンドを起こしたりといったリスクが避けられない。やはりその道に通じたプロの教えに忠実に沿うのが効果的だ。巷には数々の片付け術、断捨離術、ミニマリズムに関するセオリーやメソッドが出回っているが、それらの中から自分の感覚や性格や性向と相性の良いものを見極めることが大切だ。

これら2つの必須条件を満たしつつ、実際にどういう手順を踏めばいいか5つのステップに分けた。

Step1:休息をとる
Step2:心地よい時空を確保する
Step3:メソッドを選ぶ
Step4:まずは一箇所トライする
Step5:振り返り次のステップへ

Step1〜5を順を追って説明しよう。

【Step1】休息をとる

何はともあれ、まずは睡眠をしっかりとろう。
この記事を読んでくれているあなたはひょっとして、あれこれ考えたり思い巡らすのが得意で、昼夜問わずデジタルメディアに触れる時間が多く、睡眠不足の傾向があるのではないだろうか?(※註)

心身のエネルギーをチャージするためには、睡眠不足の解消が何より必須だ。前段階として夜は必ずお風呂に入って体を温める。夜更かしは控えていつもより30分でも1時間でもいいので少しでも早めに床につこう。この時大事なのはデジタル機器から距離を置くこと。夜間はスマホやパソコンは寝室とは別室で充電しよう。さらに別階なら必然的に足が遠のくのでより効果的だ。これだけで睡眠の質が確実に上がる。もしもデジタル機器なしに寝床に入るのが心許なければ、本や写真集など「紙ベースの読み物」を枕元に持ち込んで暗めな白熱灯の照明で読む。やがて本の重み(仰向けの場合)か頭の重み(うつ伏せの場合)で自然と眠りに落ちるだろう。たとえすぐに眠れなくても、目を閉じて横になっているだけでも身体は相当休まる。

しっかり眠ると疲れが軽減されて、自然とメンタルも落ち着いてネガティブな気持ちに陥ることも減ってくる。疲れをとることで、心身のコンディションはマイナスから徐々にニュートラルに近づいていく。
もし日中も眠くなればほんの少しでも仮眠をとろう。とにかく意識して時間をとって「休む」「寝る」ことが大事だ。(これが得てしてメンタル的にしんどい渦中にある時に限って、なかなかできないのがネックなのだが…)

ロウソクストーブ。ほのかに温かい。炎の力を感じる

【Step2】心地よい時空を確保

しっかり睡眠がとれる状態になったら、次は自分にとって純粋に心地よい時空間を確保していく。
その内容が実利的でなくても、いやむしろ実利的でないからこそ重要ともいえる。自分にとって本当は何が大切か?何が自分にとって根本的な価値観か?を見つめ直すことがここでは最重要なのである。もしそれが何かはっきりしなければ、まずは趣味や嗜好に沿ってみる。
私自身の経験からリストアップしてみた。

  • お茶やコーヒー、葛湯、梅昆布茶などその時々のお気に入りの飲み物を淹れる
  • 時間を気にせずお風呂に浸かる(入浴剤や好きなアロマオイルを垂らしたり、電灯をOFFにし火気に注意しキャンドルの照明のみにするのもおすすめ)
  • 好きな音楽を聴く(Apple Musicでダウンロードしたお気に入りを運転中に聴く、独り在宅の時にスピーカーに接続して好みの音量でゆったり聴く。屋外でイヤホンを使うのもいい。気兼ねなく独りの世界に没入できることがポイント)
  • 好きなを読む(かねてより買い溜めていた’積ん読本’にトライする/図書館でピンときた本、画集や写真集を借りてくる/デジタルではなくアナログ形態がおすすめ)
  • 昔習っていた楽器に触れ、思うままに演奏してみる
  • 外の空気や自然に触れて、身体を動かす(近所を散歩する/室内に草花を生ける/畑やベランダ菜園、土いじり、焚き火/川べりや海辺、森林に足を運ぶ)
  • カフェにこもりプチ一人合宿(1時間〜数時間まとまった時間をとってカフェに向かう。感情や思考などをノートに書き出す、スケッチブックに絵を描くといったアナログ作業から始めて、デジタル作業としてはノートパソコンやタブレットでオフライン状態にてメモソフトに書きつけていく。もしブログをしていれば記事のネタ作りもできる)



総じて、デジタルのオンライン状態から一旦離れて、オフラインの自然状態に身を置き、アウトプット手段にアナログ要素を取り入れるのがコツだ。私たちは常日頃デジタル機器に接する時間が多く大量のデジタル情報に晒されているので、ここで敢えて手書き(手描き)してみよう。アナログは一見手間と時間のロスが大きいように感じるが、この「原始に近い労力をかけて身体を動かす」ことこそが普段使わない脳の部位を刺激し、心身を活性化してくれるのだ。
私はここでスケッチブックと鉛筆を使い「手書き(手描き)しながらとことん思索にふけり、気が済むまで自己探究に没頭」することにより、自分自身の「コアの部分」が徐々に見えてきた。

ちなみに、おすすめのツールの一つに「バレットジャーナル」がある。これは手書きによるスケジュール管理術だ。シンプルかつ自分の好みとニーズに合わせて自由にカスタマイズ可能なのが特徴だ。私はこれを導入して1年半以上が経つが、スケジュールの管理と創造を格段に快適にできるようになった。興味のある方はぜひ検索してみてほしい。

体全体で自然を感じることは何よりの癒しだ。

【Step3】メソッドを選ぶ

片付けセオリーやノウハウにある程度理解と納得をしておく。もしくは「これならやれそう」なものを選ぶ。
Step2の段階が十分に踏まれていれば、自分自身が一体何を大切にしているのかというコアの価値観がかなりクリアになってきていると思うので、自然とそれに沿ったセオリーやメソッドが選ばれると思う。

イチオシは今年の9月に出版された四角大輔氏の著作『超ミニマル主義』だ。根本にある思想、哲学的な部分も明快に理解できて、かつ実際、具体的にどのように進めていけばよいのかをそれこそ「ミニマル」に分かりやすくまとめられている。私にとってはもはや教科書的な存在だ。本書の目次と最初のチャプターだけでも流し読みすることを是非お勧めする。冒頭でもリンクを貼ったが、こちらがそのレビュー記事だ。

【Step4】まずは一箇所トライする

まずは片付けるスモールステップとして5分を確保し、手元にタイマーを準備する(スマホのタイマー機能でもOK)。そしてほんの小さな、身近な場所すなわち普段持ち歩くものを「ひとつだけ」片付けてみる。

具体的には、

①財布
②車や自宅のキーケース
③バッグ(通勤用もしくはプライベート用)
④スマホのホーム画面


この4つ。このうちのいずれか1つを選んでトライしてみる。

最初のとっかかりは「小さくて効果が出やすいところ」が鉄則だ。

【Step5】振り返り次のステップへ

Step4まで試してみて、もし弾みがつけば、引き続きStep4で提示した4つの場所の別の項目を片付けてみる。これが全て終わったら、身近で取り掛かりやすい所から順次範囲を広げていく(作業デスクの上、車の中、洗面台、職場の私物ロッカーなど)。徐々に難易度を上げていくのが得策だ。

しかし、もしStep4まで試してしんどくなったら、Step1→2の順番に戻って、十分に休息を取り自分を満たす。←ここすごく大事。Step1〜2が十分満たされると、自然とStep3〜4に移行しやすくなる筈だ。自分を十分に休ませてコアを満たすのに必要な期間には個人差がある。何週間とか何ヶ月間といった絶対的な期限もない。


以上、私の経験から片付け実行に向けた無理のないステップを提示してみた。「片付けたいけど、どこからどう手をつけていいか分からない」「身の回りも心の中も散らかっていて、どうにかしたいけど糸口が見えない」という方に向けて、この5つのステップがヒントになれば幸いである。但しこれはあくまで私個人に合ったやり方だ。人それぞれの個性や特性、好み等に応じて各々独自の強みを発揮しやすいやり方があると思うので、あくまで一つのサンプルとして参考にしてほしい。

再び絵を描けるようになった。嬉しい。

⑷まとめ

長い間信じていた思い込みから解放された

これまで私は「まずは片付けないと何も始まらない」「片付けありき、まずは形ありき」と考えていた。同時に実際には片付けに着手するのが億劫で、散らかったまま放置したり、片付けてもすぐ元どおりに散らかってしまうことに嫌気がさしていた。

ところがこの期に及んで、「まずは片付ける、まずは形から」の考え自体がそもそも間違っていることに気がついた。エネルギーを必要とする所には、エネルギーを補給する必要がある。至極当たり前なこの宇宙の摂理を完全に無視していたのだ。ではこの「散らかっている」場合は、エネルギーを必要としているのは一体何処なのか?

それは、自分自身の根幹にある「コアの部分=最も大切にしている価値観」だった。まずはこの「コアの部分」の正体を見極め、それが必要としているもの、欲しているものをじゅうぶん満たすことで初めて行動エネルギーがチャージされ、「片付ける」という具体的な行為に結びついたのだ。

私はすでに、自分自身の「コアの部分」が何であるかは薄々認識してはいたものの、その価値やパワーを十分に認めることができず否定的にとらえて抑圧していたように思う。なので必然的に「自分だけのための(=コアの部分を満たすための)時空間」が圧倒的に欠乏していたのだ。「片付けられず、散らかった状態に自己嫌悪していたこと」と、「本来好きで得意なはずの絵が描けない状態」の両者は、同一のストレスの根っことして密接にリンクしていた。全てが拗れて心の内側も外側もとっ散らかっていた。

この「コアの部分」がたとえ目先の現実生活には一見役立たなくても、これさえ十分に満たされていれば、あるいは満たされる時空間が確保されてくれば、その他の日々の「やるべき」「義務的で場合によっては億劫な」タスク(家事育児、ライスワークとしての仕事など)が劇的にスムーズになり、むしろ楽しめる部分すらできてくる。「片付けミニマリズム」もそのタスクの一環だったのだ。

ちなみに、この大筋の考え方は、上述のやまけんさんの発信からも大きなヒントを得た。たとえばこちらの『本当にやりたいことをみつけるためには休む、やめるが大事』というテーマ。やまけんさんの発信はVoicyという音声配信チャンネルが充実している。

※左の画像はスクショなので再生ボタンは無効です。右のリンクをクリックしてください。

「片付けミニマリズム」と「心」の間の関係についての仮説

ここで、相対する以下の仮説が思い浮かんだ。

  • 「心の奥底にある自己否定感」→「生来備わっている強みが暴走する」→「心の中が散らかり、その状況が外側の現実世界にも反映される」→「さらに心が荒み、双方ネガティブな影響を及ぼし悪循環ができる」
  • 「自分をそのまま受容し満たす」→「生来備わっている強みが適所で適切に力を発揮する」→「心が落ち着き整理され、その状態が外側の現実世界に反映され、片付けミニマリズムという目に見える形をとって実現する」→「さらに心の中がすっきりとクリアになり双方好ましい影響を及ぼし、好循環ができる」

結論

たとえ自分が片付けられなくても、それ自体を責める必要は全くない。片付けられない無理からぬ理由が必ずあるからだ。端的に言うと、心身ともに疲れが溜まっている証拠なのだ。
心が散らかると物質空間も散らかる。なぜ心が散らかるかというと、ベースに自己否定、自己抑圧があるからだ。「散らかっているのは自分が怠けているからだ」「まずは片付けないといけない」と自身に鞭打つことは却って疲弊を増幅させるのでNGである。この状態を打破するには心身と物質空間の、どっちに手をつけるのが先か?答えは当然「心身」の方だ。

なのでまずは休もう。ネガティブになるのは単に疲れているせいでもある。まずは休んで、疲れをとろう。疲れがとれたら日常から離れた場所で五感を心地よい状態にし、自分にとって心地よいことをしてエネルギーチャージし元気回復を待つ。すると自ずと本来持っている強みのサイクルが整ってくる。そしてたとえ一見独りよがりであったとしても自分自身の主観・自分独自の感覚を何よりも尊重することが最重要だ。まずは自分の主観的な欲求を満たす。そこから全てが始まる。
「片付けミニマリズムとは、自分の人生を自分で舵取りして主体的に自由に生きること」。
心と外界は密接にリンクしている。

洗濯ハンガーは無印良品のアルミハンガーでほぼ統一。
洗濯バサミも無彩色系(半透明か白かシルバー)で統一している。

(※註)「デジタルメディアに触れる時間が多く、睡眠不足傾向」について

実際つい最近までの私がそうだった。仕事や育児で自分の時間がなかなかとれず、それを満たそうとするために夜遅くまでパソコンやスマホを見る習慣がついていた。習慣性になるのは良くないと頭では分かっていても、自分の中の上位資質「内省」が止まらず、自分の興味関心のまま思索探索も交えつつハマっていた。但し、私はデジタルメディアそのものが一概に悪とは言い切れないと考えている。私の場合で言うと、デジタルメディアというツールを経由して上位資質の内省が力を発揮していたに過ぎない。傍目には依存しているように見えたとしても、その費やし方によって得られる結果は様々だ。ただ際限なく受け身に情報を浴び続けるのか、自分自身の興味関心に従って思索探索の手がかりとして使うのか一概に善し悪しを決めつけるのは早計である。確かにデジタルメディアは依存性・中毒性があり、営利目的などで個人情報を抜き取り広告に誘導するというカラクリがあることは知った上で、適切な距離をとっていく必要はあるだろう。

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