はにうらのプロフィール 続きです。
目次:
1 生い立ち
1-1 内向的だった子ども時代
1-2 絵描きへの憧れ
1-3 近視とのつきあい
1-4 外国への憧れ
1-5 ついに海外に飛び出す
1-6 上京しモラトリアム生活に溺れる
1-7 挫折と方向転換〜地元で学生やり直し
1-8 人生初の正社員→晩婚出産→退職→現在
2 ブログタイトル『路地裏のはにうら』に込めた想い
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その4では、1-8です。
人生初の正社員→晩婚出産→退職→現在
リハビリの専門学校を卒業し理学療法士の免許を取得し、晴れて地元岡山市内の総合病院に就職する。齢38歳にして生まれて初めて「正社員という地位」を手に入れた。
新人で仕事に慣れる迄かと思いきや、患者さんと関わった後の雑務に時間がかかり、いつまでたってもほぼ毎日2、3時間の残業で退社時間は夜8〜9時台がざら。しかし職場の人間関係が良好で、独身の実家住まいという身の上だったため、なんとかこなしていた。
ところが入社2年目、39歳で病気に罹り数ヶ月休職。復職後、回復に伴い体の奥から再びエネルギーがふつふつと湧き上がってきた。このとき思い立って始めたのが「スーパー銭湯通い」「ベリーダンス」「打楽器ダルブッカ」の3つだ。お湯で身体を芯から温めて好きな音楽に合わせて身体を動かす。この近年にない情熱と高揚感は、かつてインドネシアや東京に飛び出していった20代以来、久々に感じるものだった。
そして翌年、学生時代の知り合いと再会し年内に結婚。さらにその翌年41歳で長女を出産。
産後1年間の育児休暇を取って職場復帰したが、いきなり違う部署に異動。それまでとは全く毛色の違う業務内容や人間関係がきっかけで、ストレスが積み重なっていった。育児との両立が困難となり次第に身体にも異変をきたし、復帰後1年半で退職する。
病気や出産でブランクが多く実質働いていた期間が5年弱だったので、理学療法士としてのキャリアがここで中断されることは不安であり、人生初にようやく獲得した正社員という安定した地位を手放すのは正直惜しかったのだが、散々悩んだ末に下した決断だった。44歳の春だった。
退職後、休養を兼ねてしばらくブラブラと過ごし、これからの仕事のスタイルや生き方をどうしよう、と色々考えた。以前の職場では、フルタイム勤務で担当クライエントをできるだけ数多くこなすことが優先され、それに比例して書類業務、会議や雑務が増え、さらにはサービスの質を高めるべく休日の勉強会など自己研鑽が求められる。これをマトモにこなそうとすると結局プライベートの時間を削らざるを得ない。揚げ句、自分自身が疲れ切ったまま他人を援助し続ける…という本末転倒なループを強いられた。
リハビリの仕事内容自体はやりがいがあり手応えを感じるけど、こんなふうに時間に追われて数をこなす働き方はもうしたくない。たとえ収入は減ってもいいから家事育児にもしっかりと時間を確保し、患者さんひとりひとりじっくり向き合えるだけのボリュームで無理のないペースで働きたい。そう思い、転職先を探した。
そこで出会ったのが今の訪問リハビリの仕事だった。非常勤で週2回のペース。併せて、似顔絵描き・マッサージ・インドネシア語といった、かねてから自分の中で蓄積し温めてきたスキルを何かしらカタチにして世に出してみたいという思いも実現したかった。時間ができた今、これまでずっと躊躇し続けて手をつけていなかったネットでの自己発信に挑み、今年(2017年)5月にブログを開設し、現在に至る。
この40歳前後には、就職(38)→病気(39)→結婚(40)→出産(41)と、人生の濃いイベントが毎年目白押し。一般的ないわゆる標準的なモデルでは「20代前半に就職しキャリアを積む→30代には結婚、出産/身体にガタがきて体調を崩し休息する」とおそらくは10〜20年くらいかかって「じっくりと」こなしていくであろう諸々のイベントが、オリンピックやワールドカップの1サイクルの長さと同じたったの4年間しかもアラフォーで押し寄せてきた。何が何だかわからない位、めまぐるし過ぎた笑。
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