年に一度の盆踊り。浴衣の記憶


3連休の最終日、西日が差す頃にベランダに干していた洗濯物を取り込んだ。
娘の着ていた浴衣と帯も、この季節なので1日あれば十分乾く。

夕刻の光は、全てのものを美しく映し出す。


娘はじめての夏祭り


週末に、地元の夏祭りに娘を連れて行った。

生まれて初めて浴衣を着る5歳の少女。
母親に袖を通され、袷をし、帯を結ばれるごとに気持ちがどんどん高鳴る。

髪はショートボブなので結ってあげることはできなかったが、普段おろしている前髪をヘアピンで留め上げて、眉とおでこが見えるようにしてやった。

行きのバスの中で娘は言った。「わたがしをたべたい」と。
彼女は生まれてこのかた綿菓子をまだ食べたことがない。
そもそも夏祭りにすら連れていくのも初めてだ。
毎年お盆の時期にはほぼ夫の実家に帰省していて、お祭りに行く機会もなかった。それに去年は西日本豪雨の影響で祭り自体が中止だった。


祭り会場に到着したのは5時過ぎでまだ明るい。
浴衣で華やかに着飾ったクラスメイトの子や家族に出くわすたびに、娘ははにかむように俯いた。

盆踊りの輪に加わっていた幼稚園の先生に娘は声をかけられ、そのまま輪に加わった。園で習った盆踊りを満面の笑顔で躍る。
飛び跳ねるたびに、アサガオ柄の浴衣の袖が大きく揺れた。

盆踊りの後、出店で綿菓子を買ってあげた。
「やわらかいけど、たべたらすぐにちいさくなってかたくなるね」と娘は嬉しそうに頬張った。

母の記憶

この感じ。
母となった私は、遠い昔を思い出した。
小学生の頃、私もこのアサガオ柄の浴衣を着せられ、盆踊りに連れて行ってもらった。

会場が今とは異なり、普段通っている小学校の校庭だった。父親に手を引かれ、遠くから聞こえてくる踊りの民謡の調べに胸を躍らせた。

いつも見るのは昼間の日の光に照らされた小学校だったが、盆踊りの日だけは夜の闇の校庭にやぐらと提灯が浮かび上がり、家族づれ、若者のつれ、カップル、年寄りと、普段集まらないような老若男女の面々が押し寄せる。

夜店の賑わい。キャラクターのお面。りんご飴。金魚すくい。ヨーヨー。どぎつい着色のひよこ売り。ポン菓子。

暗闇の中にあちこちに浮かび上がる、白熱灯の暖かい色の光。それに照らされる様々なもの。行き交う人。

これら全てが、非日常な隠微さに満ちていて、胸がドキドキした。

当時の私も、どうしても綿あめが欲しくておねだりして買ってもらった。

割り箸のような取っ手にまとわりついたフワフワの綿あめ。想像していた綿あめは、見た目も舌触りもずっとフワフワしているものだと思っていた。しかし実際はべたっとざらついた食感で、口に含むとあっという間にザラメになる。
そうかこれが綿あめなんだ。物事に対する想像と現実のギャップを身にしみて感じた原体験だった。

金魚すくいもした。当然紙はすぐ破れてしまい、1匹だけポリ袋に入れてもらった。袋を巾着状に閉じる細いビニールの紐を手にぶら下げた感覚。

(その後自宅に戻って、味付け海苔を入れてた大瓶に水を張り、金魚を放した。
底に小石を敷き詰め、庭から取ってきた雑草を埋め込み、ひとりぼっちの金魚が寂しくないようにできるだけ自然を再現してあげようと思った。)


時を経て、わが子と行く夏祭り。
かつての記憶と明らかに変わってしまったものがあると気づいた。
それは、自分の目線の位置だ。
幼い頃は今よりもずっと背が低く、周りに見えるものすべてが大きくそびえ立っていた。
しかし大人になって身長が伸びきった今や、群衆の目線と同じかやや高めで、どうしても周りを俯瞰する目線となっている。

それでも。
普段とは違うものを身にまとって繰り出す夏祭りの、非日常に心躍るこの感覚はたまらなくいとおしい。


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