内向的なタイプの人間が海外に飛び出ていく心理



「国際的な分野で活躍していたり、海外に移住する人はどんなタイプか?」
こう聞かれると、イメージしやすいのは積極的で社交的だったり、ハングリー精神が旺盛で冒険心に富むアグレッシブなタイプの人、といったところだろうか。しかしここで、性格自体は基本的に内向的でありながらも、なぜか海外に飛び出してしまう人も一定数いる、という説を唱えたい。私もそのうちのひとりだから。

しかしなぜ自分は生来の性格は内向的なのに、みずから未知の外国・インドネシアに赴いたのか?
内向型人間が海外に出向いた経緯を、自分の場合はどうだったのかという視点から語る。

内向派にとって快適なインドネシアという環境

まず私にとって、異国で耳にする外国語自体がBGMのようなもので、その音に囲まれて「とことん独りになれる」心地良さがあった。なのでどの国にするかを決める際に重要視するのは、その国の言葉が自分にとって心地よい響きであること。そしてその言葉を自らも操ることをイメージし、ひいては語学学習のモチベーションにもなるのだ。私の場合、たまたま巡り合わせた縁もあったのだろうが、東南アジアのインドネシアだった。幼い頃にさかのぼると、漠然と外国の文字や椰子の木が繁る南の国に憧れていたこともある。
インドネシア語との出会いエピソードについてはこちら

学生時代に仲の良い同期の友人と、数週間インドネシアを旅した。
日本ではみられないイスラム文化、濃い顔立ちの民族、伝統的な市場(pasarパサール)の喧騒、大通りに立ち並ぶ露店や屋台、路地裏を行き交う行商人や子どもたち、あらゆるところに行き渡る丁子タバコの甘い香りとココナツオイルのこってりした匂い。雑多でノスタルジックな雰囲気が大好きになり、記憶から離れなくなった。

長期の滞在に向け私を駆り立てたもの

帰国後はインドネシアへの熱がさらに高まった。単なる旅行者としてではなく、現地の文化に溶け込んで、なるべく市井の人々に近い目線で暮らす。現地の人だけに囲まれて、とにかくネイティブのインドネシア語しか使わない生活に自分を埋め込む。そんな体験をしたいと強く思った。
同時に、日本人同士でつるむだけというのは絶対に避けたかった。そもそも日本的な文化からエスケープしに海外まで来ているのに、そこで同郷人だけと日本独特の馴れ合いで過ごすというのはナンセンス極まりないからだ。日本の社会とすっぱり縁を切って、新しい自分を探そう。海外に飛び出て華々しく国際人になってみせるんだ!この若気の至りでイキる情熱が、自分自身を海外滞在に駆り立てる原動力となったのは確かである。言い換えると、あわよくば今までの「内向的な」自分のコンプレックスを克服してやろう、という目論見でもあった。

認めざるを得ない事実

かくして実際に現地の生活に足を踏み入れると、インドネシアの国民性は人懐こく、外国人の私に対してもフランクに接してくれる人が大多数だった。言葉の可愛らしい響きの他に、この温かくて気さくでオープンな空気が実に心地よいインドネシア。しかし一時的な旅行と違って、一定期間の滞在で日常生活がベースとなると、どうしたって自分の素性が出てくる。誤解を恐れずに言うと、基本的に独りであることを好む私は、このような彼らの国民性が正直鬱陶しく感じることもあった。

相手が日本人だろうがインドネシア人だろうが、大人数でワイワイするのが性に合わず、気の合う少人数で狭く深くつるむほうが心地よい。なので、知り合いのつてで誘われる大勢の集まりに、どうしても億劫に感じてしまい快く返事ができない。参加しても広く浅いやりとりが続き、終わった後はぐったりと疲れる。それが嫌で、あれこれ理由をつけて断ることもあった。そんな時は独り部屋にこもり、海外にまでやって来て自分一体何してんだろ…?と自己嫌悪に陥った。

彼らとの付き合いの温度を自分の気分を優先に決めて、結果的に彼らのことを「軽く」見ていたかも知れない。
彼らの安定した、底抜けに明るいフランクさに甘えていたかもしれない。何てことはない、海外に出ても自分は自分。行く先々で築く人間関係のあり方は、毎回どれも似たり寄ったり。
・・・やっぱり自分はどうしたって、社交的な人付き合いは苦手なんだ。

この紛れもない事実は、私の心に楔を打ち込むように深く突き刺さった。

海外に「引きこもって」感じたこと

最近、同じような経験をしたある人が、それは「外こもり」というんだ、と言った。なるほど。妙に納得した。 生まれ育った文化に違和感を持ち、そこから逃れるように向かった海外でさらにひきこもる、という逆説的な現象。
上記のように書くと、私がインドネシアで暮らしながら、外部との交流を絶ってずっと一人きりで引きこもっていたような印象を与えてしまうかも知れない。
確かにとことん独りになり異国情緒の楽しみに浸ることもあった。しかし決してそれだけではなく、数は多くはないがネイティブで仲良くなった人もいた。彼らと関わったことでインドネシア語はそれなりに身についた。いっぽうで言葉ができたぶん人間関係が深くなり、ダークな側面を垣間見ることもあった。ヒリヒリするような思いも幾つかした。

20代前半に暮らしたインドネシア。いろんな意味で根源的な部分をえぐられるような経験の数々。好きこのんでやって来た異国で「外こもり」になってしまった自分。
異文化に接することでかえって自分の内面が露わになり、情けない事実から目を背けていたが、今となればそれは必然で、浮き彫りにされた自身の姿に対峙する絶好の機会だった。当時のことを思い返すと、何ともいえず感傷的な気分におそわれる。そして、がむしゃらに情熱を燃やしていたあの頃の私に、「これで良いんだよ」と声をかけてあげたくなるのだ。


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