マドモアゼル・愛氏による「月の欠損説」から導き出した仮説〜幼少期とは’接ぎ木の土台’に喩えられる〜

従来の主流である月解釈「月=内面的な気質」に待ったをかけた、マドモアゼル氏による新説「月=欠損である」

西洋占星術は、宇宙の現象と地球上の人間社会の出来事や、人間心理の間に相関関係があるとする思想体系だ。
その中で扱う星=天体には「太陽、水星、金星、月、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星」の10天体がある。
なかでも「太陽と月」は重要で、しかも両者は対照的な存在として捉えられている。
「太陽」が意味するものは「生命そのもの、バイタリティ、生きる原動力、基本的性格、自己実現」に対して、「月」は西洋占星術界における従来の解釈では「感受性」「気質」「内面的、本質的な性質」「幼少期の養育環境の象徴」ととらえられてきた。

この月について、占星術師であるマドモアゼル・愛氏が近年、新たな解釈を提示している。
一言でいうと、「月は’欠損’を示す」というものである。従来の「本質的な気質」とは真逆の解釈である!

氏が提示する「月の解釈」の骨子はこうだ。

『月とはもともと伝統的な占星術における解釈では「死の星」とされており、太陽の光を吸収し反射する天体である。実際のサイズも太陽にくらべると雲泥の差があるが、地上からの見た目では太陽と同等の大きさである。実体がないのにさもあるかのような存在感を放ち、われわれ人間に大きな影響を与え続けている。それが月である。

また、太陽が「人が自我を確立する、青年期以降の年代期」を示すのに対して、月は「この世に産まれ落ちた直後から6、7歳までの幼少期」を示す。この「月の年齢域」では、母親はじめ周囲の大人の庇護がなくては生きて行けない。彼ら大人との関わりの中で作り上げてきた’かりそめの自己像’。これが’月のイメージ’なのだ。しかしながらこれはあくまでかりそめであって、本人そのものではないため「虚像」にすぎない。

そして月のイメージは、幼年期を過ぎて成長した後も常に無意識下ではたらきかけてくる。幼年期のかりそめの虚像をあたかも本来の自分かのように認識し、虚像のイメージを「自分は持っているはず」「自分は持たなくてはならない」という脅迫感と焦燥感に駆られ、そのためにエネルギーを際限なく費やす。虚像のイメージなのでいくら頑張ってもせいぜい7歳レベルの能力しか発揮できず、失望する。』


(この部分は平成30年に出版されたマドモアゼル・愛氏による『月の教科書』より抜粋したものを筆者が加筆アレンジした)

また、こちらがマドモアゼル・愛氏の動画配信から。月の理論について色々な切り口から発信されている。

(ちなみに、マドモアゼル氏が男性であったことを知って驚愕する人が後を絶たない。私も名前だけは知っていたがてっきり女性だとばかり思っていた。初めて画像映像で見た時の衝撃といったら!でも、氏のゆったりした語り口、時折見せる笑顔や機知に富んだユーモアがたまらなく魅力的なのだ。)



月についての再生リストはこちら。https://www.youtube.com/playlist?list=PLIs1ng56m5IlkGJ_EIm_v7D4HxpJLG21Q
(リンク先アドレスが横線で消されているが、構わずクリックして頂きたい。問題なく再生リストの画面が出てくる)


氏のこの月解釈は、従来のそれとは大きく異なるもので、ある意味画期的かつ革命的であり、氏のファン層を中心にネット上ではかなり反響を呼んでいる。
ところが、なぜか肝心の西洋占星術業界ではあまり表立って話題にされていない印象だ。月のイメージが従来と真逆であまりにもラディカルだから、敢えてスルーされているのだろうか。もしくは何かアンタッチャブルなものがあるのだろうか?

私は個人的に、マドモアゼル氏によるこの月解釈=「月は’欠損’である」は、核心を言い当てていると直観している。そして氏の月についてのオンライン講座を受けたり、受講生同士で交流を深めてきた。

昨年(2020年秋)の「月のすべてを知る」セミナー後に開催されたオンライングループにて、以下のような考察をした。

子どもの成長における月と太陽を、園芸の「接ぎ木」になぞらえる


…と、前置きが長くなってしまったが、本記事では、マドモアゼル氏の「月の解釈」を踏まえて考察した、私独自の仮説を述べる。人間を一つの生命体としての’樹木’に喩えることで、子ども時代の成長を園芸の接ぎ木になぞらえてみた。それが表題にもある「幼少期=接ぎ木の土台」説である。

【※「接ぎ木」の定義:二個以上の植物体を、人為的に作った切断面で接着して、一つの個体とすることである。このとき、上部にする植物体を穂木、下部にする植物体を台木という。(wikipediaより引用)】


ここで、種から苗木として成長していくにあたって、生命エネルギーの大元は「原初の太陽」といえよう。生まれたばかりの赤ん坊に生来備わっている生きる力そのものだ。太陽の前に’原初の’という言葉をつけたのは、占星術の概念でいうところの太陽とは、幼少期から成熟して備わっているものではなく、自我を確立した青年期以降に意識的に獲得していくものだからだ。


そして、根っこの部分「台木」にあたるのが、幼少期7歳までの’原初の月’と’原初の太陽’が密接に同居しあるいは同一化したものではないかという仮説を持っている。

幼少期を超えたら、そこに継ぎ足される「穂木」の段階となり水星期(学童期の8〜15歳前後)、金星期(青年期前半の16〜23歳前後)、と続き、その次の太陽期(青年期後半の24歳〜35歳前後)で本格的に太陽を獲得=自己実現していく、とイメージした。



まさに「三つ子の魂百まで」という諺の通り、幼少期(0〜7歳前後)とは人生の大元=土台をなしていると考えられる。

子どもは生まれ落ちてきた直後から周囲の大人たち(特に親)に原初の太陽という純粋な生命エネルギーでもって無償の愛を与えつつも、実社会の中で生き抜くには無力であるため、彼ら大人たちの庇護が絶対的に必要だ。
また大人側の事情や彼らの子どもに対する接し方、養育環境が、子どものその後の発達に大きな影響を及ぼす。生まれた直後は、自分の欲求のおもむくまま振る舞う「赤ん坊」=「原初の太陽」であった子どもも、自我の芽生えとともに次第に周囲の大人たちの反応を見ながら、自分の振る舞い方をコントロールしていく。こうして「原初の太陽」が「原初の月」に覆われていく。良きにつけ悪しきにつけ、このプロセスは発達において不可避かつ不可欠である。

この時期に形成された心理や行動のパターンがその人の個性を形作り、また一生を通じてその人のアイデンティティの根幹に影響する。ここで重要なのが、幼少期は’台木’だから、あくまで台木としての7歳止まりで、それ以上の成長段階には至らない、ということだ。これがいわゆる「月サイン(生まれ落ちた瞬間の月が、どの星座=サインの上に位置していたか)として現れる。同時に、台木とはその人自身の人生の根本と根幹をなす重要な部分でもある。

私は人間の幼少期をこのように捉えている。

言い換えると、この7歳までの台木の段階では自我が未発達であるため、自分自身(=原初の太陽と月)は周囲の大人社会によるコントロールを受けやすく、しかし未発達な子どもは大人なしでは生きていけないため、彼ら大人に庇護されるべく自分自身を押さえ込むことを覚えた。

この「大人に気に入られるように自分自身を抑圧した形で編み出した生存戦略、そこからくる思い込み」を、その後’台木’から’穂木’に成長した後も、同じように使おうとして苦しくなる。これが、マドモアゼル氏のいうところの「月にとらわれた人生」に相当するのではないか。

ここまで読んでくださった方の中には、接ぎ木は人為的な加工の加わったもの、という印象があるため、人間の一生を「接ぎ木」になぞらえることに対して違和感をおぼえる方もいるかもしれない。

しかし私があえて接ぎ木になぞらえたのは、台木部分はあくまで台木の段階を形作るに過ぎず、それから先に成長していく’穂木’とは明らかに異なる存在であること、さらに台木には地中から水分や栄養を吸い上げる根っこがあり、台木なしには穂木ひっくるめた樹木本体が生き続けて成長していくことができない、という事を強調したかったからである。

自分だけのオリジナルの’台木’をまるごと認める


マドモアゼル氏の「新しい月の解釈=月は欠損を示す」を学び、本当に自分のものとして肚に落としこむにあたって大切なのは、上記のカラクリに気づくことであり、欠損あるが故のその人ならではの生き様が、年月を経てその人の個性や魅力として滲み出てくる、ということを認めることだと思うのだ。

そして、大人になってもなお幼少期に培われた「月の記憶・パターン」が刷り込まれてしまった’台木’含む自分という’樹木’まるごとに対して「今までずっと、原初の太陽と月を抱えて生き続けてきて、どんなにか大変なことも沢山あっただろう。今までよく頑張ってきたね」と労をねぎらうこと。

ここを踏まえた上で、大人たちから、この世のこうあるべきという抑圧に従う無力な七歳止まりの自己防衛的なやり方ではなくて、勇気を振り絞って「本来の私はこんなんじゃない!もうあんたらのいうことに従うのはこりごりだ!」と月的な欺瞞にあふれた大人社会にアンチテーゼを示し、自分の中の7歳までの月と太陽の純粋さを「守る」こと。これが台木=自分の人生の根幹部分を守ることにつながると思うのだ。

自分自身の台木を守る=自分自身の幼少期をまるごと肯定すること。

これによってこそ、その後の穂木の豊かな成長につながり、太陽は輝きを取り戻し、他の星も燦然と輝き出すはずだから。
「月の呪縛からの解放」とは、そう言うことだと思うのだ。
決して「月の呪縛からの解放」が「月=悪として存在しないものとする」ことではない、と声を大にして言いたい。

西洋占星術には「ホロスコープとは本人が生まれる前に自ら覚悟して決定したもの」という考え方がある。これこそが、自ら意識的・主体的に生きよ、自分の人生は自分で舵取りをせよ、という宇宙からのメッセージであると確信している。

自分の’台木’が周りからこんなひどい扱いをうけたから、今の自分はこんなになってしまったのだ、自分は無力なのだ、と大人の月に迎合した生き方に身をおもねるのは簡単だが、それでは決して本来の自分の生命を全うし、本来の自分の持つ星のパワーを発揮することにはならないだろう。

満身創痍ながらも生き延びてきた自分オリジナルの’台木’=幼少期に光を当てることで、おのずと自分自身を生きることができるのだ。

(追記)先日、Twitter上でフォローしているとある方のツイートに目が止まり、呟いたのがこちら。


このツイートには以下の文章が続く。

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