10年以上前に東京で一人暮らしをしていた頃、仕事帰りにちょくちょく寄る某ラーメン屋があった。
そこのラーメンは濃厚なトロミのある独特な風味のスープが特徴的で、当時の私はやみつきになっていた。
ただ、いつも食べるたびに引っかかっていたのが、どうしても塩分が濃いめなこと。
メニューをみると、いつもオーダーする「こってり味」の他にも「あっさり味」という見た目普通の醤油味のものがある。
そしてそれに加えて両者の中間にあたるという「こっさり味」があった。
試しにこの「こっさり味」を注文してみた。
一口食べた瞬間「お湯を足したい!」と思った。
出されたラーメンは確かに、スープの見た目や風味自体は「あっさり」している。
しかし、相変わらず「スープがしょっぱい」のだ。
メニューが変わっても塩分濃度は変わっていなかった。
夜の店内は混み合っていた。
こんな繁忙な最中に、運ばれて来たラーメンに対して更にこんな変てこな注文、店員に声をかけづらい。
仮に私の要求通りにお湯を持ってきてくれたとしても、私がそこの店のラーメンの味にダメ出しをして店側のプライドを傷つけるようで、気がひける。
じゃあ、どうするか?
私は3つの選択肢を考えた。
その① 積極的アクション
「お湯を足す」
2パターンに場合分けした。
ー①-1
スープを薄める目的だが、店員さんには事情を明かさない。
あくまで「お湯をください。ぬるいのじゃなくて熱湯を」とだけ言う。
ー①-2
今度来るときに、自宅から熱湯を入れたマイボトルを持参。
食べる直前にこっそりと薄める。
その② 消極的アクション
「これから先も出されたままの塩分濃度に甘んじる」
その③ 逃避的アクション
「いっそのこと、この店に通うのは諦める」
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では、それぞれの場合を順番にみてみよう。
→ ①-1
この客なんでまたお湯なんか頼むんだ?と、店側に怪訝に思われるんじゃないか。
厨房で絶対話題になる。恥ずかしい。
→ ①-2
自宅を出る時から「よっしゃ、今日はぜったいあそこのラーメン食べに行くぞ!」と気合いを入れて熱湯を入れたマイボトルを準備。ボトル1本分荷物が増える。相応な心的物的な段取りが必要になる。
それに、仮にもこのボトルを持参していたとしよう。
ボトルに保温機能があったとしても、徐々にお湯の温度は下がってくるものだ。
いざ食べる時、周りの目を気にしながらさりげなくお湯を投入するチャンスを狙うのも微妙に神経を使う。
ようやくここぞ!と注いだお湯が思いきり冷めてたりしたら、興も冷めよう。
そもそも①の選択肢は、まるで味の濃い味噌汁にお湯を足すようなものである。
お湯を足すカップラーメンじゃあるまいし、これではスープが水っぽくなり味が落ちる可能性が高い。
→②
味はいいけど塩辛いと我慢して、健康への影響も気にしながら食べるのは落ち着かないし満たされない。せっかくお金と時間を費やしているのにこれでは本末転倒、不本意極まりない。
→③
ここだけじゃなくて、他の大多数のラーメン店にも入れなくなってしまう。
身も蓋もないので、論外。
う〜ん、どうしようか。
私は閃いた。そしてとった方策とは。
妥協せず、何とかしてこのラーメンを自分好みの塩分で堪能したい。
色々考えながらふとテーブル端に目をやると、胡椒やニンニクといったオプションの調味料と並んで「ラーメンスープのタレ」と表記されたボトルが佇んでいる。
ボトルの中には、うす口醤油をさらに明るくしたような色味の液体が。
どうやらスープベース(?)に加える味のエキスのようなもので、塩味を濃くしたい時に加えるようになっているらしい。
…てことは、だよ?
出されたラーメンスープにもこのタレが既に入っているということでしょ?
そもそもこのタレの含有量(≒すなわち塩分量!)を減らすことも可能なんじゃないの?
ピーンと閃いたが、この時はぐっと堪えてとりあえず②の消極的アクションを選択。
塩辛いスープを我慢して食べて帰った。
そして、その次に立ち寄った時。
オーダーする際、私は思い切って店員さんに頼んだ。
「そのままだと塩分が濃く感じるので、中に入っている‘スープだれ’を半分の量にしてもらえませんか」
当時そのラーメン屋で馴染みになっていた店員さんは、おそらく東アジア系の外国籍の青年だった。
中国語訛りの日本語でにこやかに一生懸命に接客してくれている姿に好感をもった。
「スープだれ、半分、ですね。わかりました!」
彼は、若干おぼつかない日本語で単語ひとつひとつを確かめるように、快く受け応えてくれた。
出てきたラーメンの塩加減は、自分が思い描いていた通り控えめだった。
ずっと実現したかった味。
勇気を出して注文して良かった!
大満足。
これならたとえ厨房で「変な客が来てるよ」なんて悪口を言われていようが構わない。
この自分の味覚にジャストフィットな美味しさを前にすると、少々何を言われようがへのカッパだ。
その後もこのラーメン屋に立ち寄るたび、この店員さんを探しては「スープだれ半分で!」と注文をつけた。
これは私と彼の間で半ば合言葉のようになって、毎回実にいい塩梅のラーメンが運ばれてきた。
当時の私は、日々カツカツの暮らしだったが、この仕事終わりのラーメン店通いは、大人ひとり暮らしならではのささやかな贅沢だった。
都会の生活で疲労が溜まり、身も心もささくれだっていたあの頃。
ラーメン塩分に対する私のわがままで細かい注文に真摯に応えてくれた、あの中国語訛りの店員さんのことは、忘れられない。
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