この春幼稚園に入った娘は、まもなく3歳半になる。
抱っこすると、身体がずっしり重くなった。
ここ最近ずっと13kg台をキープしていたが、久々に体重計に載せると14kgを超えていた。
朝、娘より先に目覚めると寝室を出る。階下でトイレや洗顔をしていると、目を覚ました娘が半泣きで私を呼び、抱っこをせがむ。抱き上げて再び階下に降りる。彼女を少しでも床に降ろそうものなら猛烈に抵抗されるため、何とか工夫をこらして抱きかかえたまま鏡の前で身繕いをする。
休日は冗談を言って笑わせたりふざけて遊びながらと娘にゆったりと向き合えるのだが、仕事のある日は心の余裕がなく、ぐずる娘をぞんざいに扱ってしまうこともある。
だが彼女は、どんな時も母である私に全身を委ねて、叱られても涙を流しながら頰を埋める。
しっとりした暖かい重みに、煩わしさと慕われていることを実感する。
自分がこの子を宿して以来、4年近くになる。
思えば、妊娠中は自分のお腹の中で成長し、日々増してくる胎児の重みを体感していた。
一刻も早くこの重たいお腹の生活から解放されたいと願っていた。
そしていざ生まれると、あっけなく軽くなったお腹にホッとする反面「ああ、わが子はもう私のお腹の中から出て行ってしまって、ここに戻ってくることは二度とないんだ」という寂しさに駆られた。
だがこの寂しさも、日々の育児のめまぐるしさに紛れていつしか忘れてしまった。
わが子の成長の節目では必ず、子どもが自分から離れていくことに対する安堵感と、寂寥感が抱き合わせでやってくる。
彼女の体重が14kgを超えた時、ひとつの節目を感じた。
明らかに今までと同じようにヒョイヒョイと抱きかかえることができない。
さらに成長して体重が増えれば、いずれは抱っこすること自体が物理的に無理になる時がくる。
それは何kgになった時なのだろう? 20kg? いやそれ以下で?
体重だけでなく、精神的にも成長すれば抱っこを求めなくなる時がくるのだ。いつか必ず。
家事や仕事と並行して育児をしていると、疲れた時や慌ただしい時にも子どもに抱っこをせがまれる場面がたくさんあって、悲鳴をあげたくなることもしばしばだ。
でも、わが子を抱っこできる期間というのは、本当に限られている。
なので、幼いうち身体が軽いうち、抱っこをせがんできてくれるその時に、時間が許す限りめいっぱいわが子の欲求に応じてあげたい。そのことがひいては親である私自身のスキンシップの欲求も満たすことにもなるのだ。
「子どもはいずれは大きくなって親から離れていく。その時には抱っこしたくてもできないし、させてくれなくもなる。」
私は、ぐずって甘えてくるわが子に手を焼いて苛立つ時に、このフレーズを思い出すようにしている。